おなじみの“おはら節”であるが、そのルーツは、歌詞の中にも見える霧島連峰の南西麓、日向国安久の地(現・宮崎県都城市安久町)に伝わる安久節(ヤッサ節)であった。島津氏の琉球出兵に従軍した安久の郷士が歌うのを、薩摩の郷士たちが聴き覚え、鹿児島に持ち帰ったのだという。昭和9年に初めてレコード化され、そのとき現在の形にまとめられた。
ハンヤの意味とハンヤ節の発祥地については諸説あるが、長崎県平戸付近の田助で船頭たち相手の騒ぎ唄として生まれた「ハンヤ節」を元祖とする説が有力。これが一旦、東北各地のハエヤ節や塩釜甚句、越後・佐渡のおけさなどに発展し、九州・鹿児島に“逆輸入”されて鹿児島ハンヤ節になったのだという。